
人を惹きつける清潔感
釈迦は可能な限り物を大切にし、清潔にも気を付けていたそうだ。当時の出家者は、ボロボロの袈裟をまとい、髭も髪も伸ばし放題で清潔感は全く無かった。そういう時代にあって釈迦は、髪や髭を剃り、喜捨して頂いたボロ布を綺麗なるように縫って袈裟にしていたという。
清潔感があるというだけでも、魅力で、人を惹きつけ、説得力が生まれたのではないかな?と考えさせられた逸話だ。

お菓子だって味がおいしいだけで十分なのに、それでも売るためには形や色を可愛くしたり愛される努力が必要だと思うし、無意識的にでも人の気を引く努力をしてる人が好かれてるんだと思うんですよね。
清潔感は大切
統合失調症などの精神疾患になると、心にもゆとりがなくなってしまい身だしなみがだらしない人も多い。
僕もご多分に服には全然気を使ってなかった。容姿や服装や社会的な地位や経済力で人を好きになるような女性に嫌悪感のようなものがあったからだ。

小人が恥じるのは自分の外面である。
君子が恥じるのは自分の内面である。
吉田松陰の言葉にこのようにあるけど、外面って1番外側に現れた内面と言って差し支えがない。
僕は先輩にアドバイスされてから、今はある程度服装にも気を使うようになった。

hoshuくん、キミは服は着れたら好いと思ってるみたいだけど、お坊さんは服装も大切なことだよ。
それからは、ちょっと良い料亭などに行く前には、靴下を履き替える、シャワーを浴びることを心掛けている。これ、京都のある料亭のご主人が耳打ちしてくれた、大人のマナー。
「モノ」を大切にデキない人は「自分」も大切に出来ない
気に入ってない物や、ヨレた服、くすんだ下着や明らかなゴミを捨てずにいたり、見栄で買った物や大切にできない物を持つのは、無意識でそれがふさわしいと思っているから。
持ちものはその人を表す。
モノも自分も大切にしている人は、自分の感性を大切にしていて、気に入ったモノを、永く大切に使う。
自分に対して敬意を払い、妥協をしないので、上質なものをメンテナンスしながら愛用し、自分にもお金をかけてメンテナンスするし、大切に使う。
モノを大切にできないなと感じる人は、無意識に自分をすり減らしたり、犠牲にしてしまっていないか、自問してみよう。
精神疾患と清潔感
髪がギトギトしていたり、フケだらけだったり、歯が汚かったり、爪が伸びて汚かったり、服が着崩れていたり、洗濯してない服を着て匂ったり、靴下に穴が空いていたり、足が臭かったり、泥だらけの靴だったり、メガネが汚れていたり・・・。
何故かっていうと、あまりにも状態が悪いと生きるだけで精一杯で、そこまで気を使う余裕がなくなってしまうのだよね。陰性症状では歯磨きや入浴すらも出来なくなることもある。
ちょっとした身だしなみのだらしなさで、生理的に無理と思われて人間関係を構築出来なくなることすらある。
ある程度回復したら、身だしなみや持ち物にも気をつけるように心掛けよう。
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