
僧侶という仕事は、僕にとっては未だに精神的に厳しい場面がある。
何百人の前で法要を務めたり、葬儀の導師をしたり、その人たちの前でお話をしたりと。
特に、他のお寺のお手伝いに行くときには、帰ってきてから自分でも驚くぐらいに疲れてしまう。
経験で肩の力がフッと抜ける
何度もそういう場面を経験すると、あるとき、

あれ❓
今日はそこまで緊張もしなかったな❓
というように、手が震え、声が震えていたような場面でも、普通に出来るようになった。

しかし、依然として気は張っているから、終わってからも以前ほどではないけれど疲れていた。
稽古と思って段々上達
それが、

完璧じゃなくてもいいや。稽古と思って段々上達していけばいい。
と、気付き、実践してみた。
そうしたら、

完璧にしなきゃいけない❗❗
と、無意識に強烈に感じていた頃よりも、好い声が出るし、法話でも滑らかに喋れるようになって、仕事が苦痛ではなくなった。
昔は1時間程度の勤行で辛くて、

早く終わらないかな・・・
と、辛くて辛くて、逃避したくてしょうがなかった。
でも、楽に考えられるようになってから、集中出来て、1時間がビックリするぐらい短く感じるようになった。
肩の力がフッと抜けるとき

真剣に続けていれば、いつかは肩の力がフッと抜けるときがやって来る。
キミの年齢では、まだその感覚にはなれないだろうけどね。
と、アドバイスを受けたことがある。
もしかしたら、その「肩の力がフッと抜ける感覚」が、年齢と経験を重ね、少しずつ分かってきたのかもしれない。

お経を唱えるのを難しいと思わずに、お檀家さんの前で、稽古と思って気楽にやれば好い。
そうして慣れると、大きな舞台でも出来るようになりますから。
と、言われたことを思い出す。
厳しいと評判の先生だったから、

毎日稽古して、真剣に研鑽を積んで、出来るようになりなさい。
とでも言われるかと思っていたから、ちょっとビックリ(゚Д゚)した。
その時は、その言葉が腑に落ちなかったが、楽に考えられるようになってから、その先生の言葉の意味がハッキリと分かった。
稽古は本番のように、本番は稽古のように
という言葉もある。
どちらの先生も、精神的に削られた経験があり、それを乗り越えてきたのだろうなということは、想像に難くない。
気楽にね🎵
人前に出ると、自分では意識しないでも、緊張してしまいがちだ。
統合失調症で、病的な過緊張・過集中で困っている人もいるかもしれない。
でも、それを乗り越えると、どんな場面でも動じず、自然体でのぞめるようになる。
まずは「肩の力を抜く」「練習と思って気楽に」と意識すると、案外と気が楽になれるかもしれない。
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