他人の価値観で生きないこと!

Einstein
Einstein

常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。

と、アインシュタインは言った。

僕らが常識や価値観と思っているのは、実際は自分自身で創り上げたのものではなく、社会の常識や偏見といったものに多大に影響されている場合が多い。

幼少期に生まれる価値観

幼少期、物心ついたときから父は統合失調症で入院をしていて、ほぼ家に居なかった。

たまに自宅に帰ってくると、母はゴミを見るような目で父を扱っていたし、気に入らないことがあれば鬼のような顔で父に立ち向かっていた。

2人が笑い合っているところを見たことは1度もなかったし、父は借りてきた猫のようにシュンとしていて、子ども心に相当な恐怖を感じていた。

人は完璧でないと愛されない?

そのせいで、「人は完璧ではないと愛されない」という恐怖のような価値観が刷り込まれた。

父は僕が中学校2年生のときに、自死をして、そのショックもあっただろう、今考えるとそれが僕の統合失調症の始まりのような気がしている。

 

高校生になってからは、もう統合失調症の症状が徐々に出ていて、妄想と思われるような完璧さを目指していた。

苦しんで達成した人に憧れていたので、

hoshu
hoshu

よし、僕は京大医学部に3浪して入ろう!

とか、当時はバスケットボール部のキャプテンをしていたこともあり、

hoshu
hoshu

よし!NBAにいけるぐらい上手くなろう!

など(笑)

今考えると、誇大妄想で笑えるけど😁

発病後の完璧主義

22歳の頃に発症して、療養期間にピアノを習ったのだけど、

こんなに短い間にこれだけ上手くなる人っていない!

プロにでもなるつもり? 笑

などと先生に言われていた。

完璧主義はある面では好いのかもしれないが、恐怖というネガティブな意識が生んだ価値観だから成功することはありえない。

ネガティブな意識はネガティブな結果に繋がってしまう😢

ありのままで愛されている

根底にあったのは、「完璧な人間じゃないと愛されない」という恐怖にも似た価値観があったから、極端な完璧主義で、人がうらやむような評価を求めてきた。

でもさ?

それって、本当の自分が望んでいることではないのだよね。

自分の価値観のようで、実は社会の価値観。

仕事が出来て、お金もあって、結婚して、子どもと幸せに暮らして・・・。

というような。

それって、自分が向日葵の種なのに、バラになろうとしているようなものだ。

もし社会がバラの花を理想としていても、自分は向日葵。

自分らしい価値観で自分らしい花を咲かせる方がずっと嬉しいし大輪の花を咲かせられるよね😃

社会の価値観に惑わされず、自分らしい自分を生きよう!