友人と疎遠になる
統合失調症Lineグループ「すきゾ!」 を運営していると、「統合失調症になって友だちと疎遠になった」という悩みを抱えている人も多い。
ただ、実際に僕はそこまで孤立感や孤独感を感じたことはない。自分があまり関わりたくない人には関わらなくなったりはしたけど、幸いに仲良かった人が離れていくことはなかった。
結局、病気が原因で去って行く人は、その程度の人なのかもしれないよ。
批判や愚痴や強烈な怒りを抱えている人
まず批判や愚痴や強烈な怒り💢など、否定的な視点で物事をみる癖が付いている方は友だちと疎遠になりがちだ。
自分が病気になった怒り、他人がいかにダメで理解してくれないか・・・。
そういうことを延々と聞かされて、聞いているだけで気分が重くなる。
いつも人の文句ばっかり言っている人とは関わりたくないでしょ❓ そういう人はやがて孤立する。
「和」を大切にするお坊さんの世界でも「あいつ嫌いだから手伝いに行かない」という人も実際にいる。
ネガティブな感情は不快
基本的に否定的な視点というのは、感受性の高い当事者には相当のストレスになる。当たり前だけど一般の人にとっても不快だろう。
人の批判や愚痴を言う人と関わりたい❓
自分の好きな人の悪口聞きたい❓
出来るだけ距離を取りたいって思うよね。そういう人ってやがては孤立する😅
自分自身でその仕事をやってみなさい
後進の若者たちよ、この場を借りて忠告しておきます。
人の仕事を見て「たいしたことないな」と思ったら、自分自身でその仕事をやってみなさい。
人の商売を見て、下手だと思ったら、自分でその商売をやってみなさい。隣の家の家族を見て教育がなってないと思ったら、その教育を自分の家族にやってみなさい。人の著書を評論したいと思ったら、自分で筆を執って本を書いてみなさい。学者を評価しようと思ったら学者になってみなさい。医者を評価しようと思ったら医者になってみなさい。
大きな問題から小さな事柄に至るまで、他人の「働き」にくしばしを挟みたいと思うなら、試しにその身をその「働き」の地位において、自分自身で体験した上で考えてみなさい。
仮に職業でまったく違うものであっても、よくその「働き」の難易・軽重を測るのです。まったく種類の違う仕事であっても、ただ両方の「働き」をもって自分と他人を比べれば、大きな違いはないでしょう。
明治九年八月 福沢諭吉
人を批判する奴にろくなやつはいない(笑)
人を批判しても、誰も得しない。ネガティブな波長で自分の心も病む。
孤立しないためには、突き抜けた能力を持って人と関わるしか無くなるけど、それは人柄に惹かれているのではなく、能力に惹かれてるだけ😱
1人の力では限界があり、皆で仲良くした方が大きな仕事が出来るのに、何で気付かないのかなぁ?っていつも思う。
批判や愚痴って、もうちょっと強く言うと「お前は死ね!」と言っているのとさほど変わらない。誰も得しない頭悪いことをしてるのにろくな奴はいない。
人のことを攻撃出来るステージにいる人間ってどれだけいる? 地球上にいないよね?
怒りを吐き出すことは心地よいことでもあるが。。。
怒ると疲れるけど、怒りを吐き出すことは気持ち良い面もある。もっとマイルドに言うと癒しになる。感情を感じてアウトプットすると楽になります。だからネットなどでは面と向かっては言えないような怒りや悪口がバズったり溢れているのだろう。乱暴な歌も流行るのは共感するから流行るわけで。
例えば、とても寒くてかなわんという日に、凄い勢いで燃えている火があるとする。喜んで近づいてみると、初めは暖かくて喜ぶけど、しばらくすると熱く感じてきて、肌もヒリヒリして痛くなっていられなくなる。『往生要集』
怒りってそういうもん。初めはガツンと感情をぶつけていれば、スカッとして気持ち良い。でも、ずっとそれを続けて行くと自分自身が怒りの炎の熱に苦しむようになる。一時は気持ち良いからこそ厄介だ。でも、その恐ろしさを知って、怒りの吐き出し方に気を付けるのも重要なことだ。
否定はマイナスのエネルギー
否定はマイナスのエネルギーだから、やがて巡り巡って自分に返って来る。チャンスがやってくる道を閉ざしている。ポジティブな現象を生み出すことはまずない。
愚痴や否定的な言葉を人には出来るだけ使わない。まず、人の素敵な部分を見つける。肯定して受けいれる方が、人間関係はスムーズになる。
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