「小欲知足」や「吾唯足知(吾唯足を知る)」という言葉がある。それについては長い間考えてきたけど、今の僕は「全てが満たされている」という感覚になっている。
「小欲知足」や「吾唯足知」では、やはり欲望はあるし、あるのもので満足しようという意味にも捉えられ兼ねない。
心から満たされる感覚
心から満たされることを実感すると、全ての不安がなくなって、今まであった頭の霞が晴れて、脳のリミッターが解除されたかのような開放感がある。新しい時代の新しい世界に入ったかのような🌍
全く同じ状況なのに、一切の不安がなくなったり、今までならイライラしていたようなことも平然と受け流せるようになる。
そういう感覚になると、金銭的にも物質的にも人間関係も、すべてが自由自在というような素敵な世界✨
結局、心を磨き続けることなのだと思う。
与える人になろう
相田みつをさんの言葉で「奪い合えば足らず分け合えば余る」という言葉がある。
自分の欲望ばかり追いかけていてはいけない。
理解されるよりは理解することを。
愛されることよりは愛することを。
「幸せになりたかったら、まず見返りを求めずに与えなさい」という言葉もある。無償の愛だよね。
ただ、奪う人に与えてしまうと、水原一平みたいに大変なことになる。佛教では「佛法僧に施せば、衣食住は自ずと整う」という経典もある。
ちょっしたことで喜ぼう
幸せな人の特徴として、ちょっとしたことで喜べることだそうだ。
デビューの頃から、自分が世界で1番幸せだと思ってた。
給料が7万だったときも幸せだった。小遣いだと思えば7万はすごいじゃん。
どんなに高いワインより、喉が渇いたときの一杯の水の方が旨い。お袋が握ってくれたオニギリより旨いものはない。贅沢と幸福は別物だ。
欲がなければ一切は足りる
欲がなくなると宇宙からのサポートを得られやすい。世界一貧しい大統領で知られる、南米ウルグアイの大統領だったホセ・ムヒカの言葉。
貧乏な人とは少ししかものを持っていなし人ではありません。多くのものを持っても満足しない人のことだ。足を知るは富を得るんだ。
そういえば釈迦はボロボロの袈裟と、托鉢の食事を入れる袋しか持たなかった。人間はお金なんかなくても、幸せになれる。
今あるものの2割ぐらいで幸せになれるようになると、幸せな人になって、残りの8割を人の喜びのために使えるようになる。
必要なものは必要なときに必ず与えられると知る
人生の大きな流れに乗っていると、必要なものはすべてベストのタイミングで与えられることを確信している。自分にとって困難な経験であっても、時が経てば、それがベストだったのだと気付くときがやってくる。
この瞬間も、完璧に宇宙と調和しているということだ。
宇宙のサポート
海外生活で、ワクワクしてしたいことをしているときには、不思議なサポートがあった。北京でギャラリーの更新代200万円が必要なときにも、2週間ほど前に奇跡的にやってきた。ウィーンの映画撮影で必要な1億円も奇跡的にやってきた。
統合失調症の陽性症状が発症して、部屋を追い出されたときにも、その数日前に友だちのオランダ人女性から、
合鍵あげるから、必要なときには家に来てね🎵
と、部屋の合鍵を渡されていて、追い出されても困ることはなかった😃
お金も人間関係も人脈も環境も、不思議なほどに自然に整うことをたくさん経験してきた。
すべては既に与えられている
必要になったら神様は必ずその才能を与えてくれる。途中から必要になったら、なぜか途中から出来るようになる。
だから、心配しなくていいんだよ。幸せの青い鳥は世界中のどこにもいなくて、家の中にいたように、
すべては与えられるから安心して「今」を生きなさい
ってことだと信じてる。それが宇宙と調和した生き方🎵
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