
例えば幅30cm・長さ5mの鉄板が床の上に置いてあるとする。私たちはその上を簡単に歩くことが出来るだろう。でも、その鉄板が高さ200mの2つのビルに渡されていたとしたら、同じように歩けるだろうか?やることは同じなのに出来ない気がしない?
絶望と苦痛
22歳。絶望。
22歳の頃、統合失調症の陽性症状が酷くなって医療保護入院になった。
看護師に押さえつけられ、眠くなる注射を打たれた。すぐに意識を失って、気付いたら内側から鍵の開かない、トイレと布団しかない狭い部屋にいた。何日も、それが夢なのか現実なのか分からなかった。
心配した母が見舞いに来て、その部屋のガラス越しに母の顔を見たときに、ちょっとだけ正気を取り戻した。

あ!これは現実なんだ・・・。
それから数日後にふと気付いた。

俺は精神病になって、精神病院に閉じ込められたんだ・・・。
その時に感じた絶望感というのは筆舌に尽くしがたい。世の中の一切の希望がなくなり、未来永劫この中に閉じ込められると感じた。
絶望より深い絶望。
闇より暗い闇の中・・・。
3度目の入院:四肢拘束
3度目の入院も同じように状態は悪く、やはり保護室に入り、そこではしゃいでしまって飛び回り、頭を壁に強くぶつけて流血してしまった。
それを観ていた看護師が、ヤバい!と思ったのか、医師の許可もなしに四肢拘束となった。
腕も足も貼り付けられて、オムツを当てられ、食事のときは食べさせて貰って、寝返りどころか全く身動きが取れない。
四肢拘束は社会的な問題にもなっているけど、確かに常人では耐えられない程の身体的・メンタル的な苦痛で人間の尊厳を奪うものだと。
石切場理論
例えば、石を切るという仕事があったときに、

あなた石を切っててね。
とだけ伝えると、奴隷のように石を切るだけの辛い仕事になってしまう。

あなたの切っている石は教会になるんだよ。
同じ石を切るという仕事だが、働く意味がちょっと変わったりする。

あなたの切っている石は教会になって、その教会には年間何百万人もの人が心の救いを求めに来るんだよ。
だからあなたの仕事は人の心を救う仕事なんだよ。
全く同じ石を切るという仕事だけど、働く意味が全く変わる。
全ての人を救うために
僕が感じた絶望や四肢拘束の辛さは、現実としてあったことだから変わらず心の中にある。出来ること言えば、それに対する今の解釈を変えることだけだ。

ありとあらゆる疾患の中で1番辛いのは「うつ」だよ。
自分が1番辛いと感じてしまうからね。
単一精神病説では、精神病の原因は同じで「うつ < 双極性障害 < 統合失調症」という順に重くなるという。そう考えると、うつや双極性障害よりも辛い状況が統合失調症かなしれない。
でも、苦しんだ分だけ、同じような苦しみを感じている人に寄り添うことが出来るし、僕がこれから同じような経験をした人を救える可能性があるということだ。
統合失調症を超越した世界
統合失調症という経験は長期間に渡る強烈なトラウマになりがちだ。
でも、そのお陰でやがては振り子が逆に振れて、あの絶望感や苦しみを世界から無くすことが出来る可能性も同時に育っているということだ。
幸せ回路を全力で作動させて、モチベーションを高めてがんばる✨
皆が幸せな世界でありますように🌍
コメントはこちら
認めてもいいのかな、自分の弱さ、
そう感じると、涙が止まらなくなりました。
なぜ泣いているのかも分からないけど
苦しかったのだろうか、と
改めて気づきを感じることが出来ました。
ありがとうございます。
自分の弱さも認めると次の段階に進めるような気がします。
涙を流すほど好い記事だったのかなって嬉しいです😃