
必要なものは必要なときに与えられる
海外のアーティスト時代
北京とウィーンで計4年間生活していたのだけど、不思議な力で守られているような気がしていた。
お金にしても、ものにしても、人間関係にしてもチャンスにしても、必要なものは必要なときに遅すぎす早すぎずベストのタイミングでやってきていた。
ギャラリーの更新のために必要な200万円も奇跡的にやって来たし、映画撮影に必要な1億円もやってきた。
明日から「お金どうしよう?」というときには、ぴったりのタイミングで仕事がやって来たり、アフィリエイトの収益が時を見計らったように急に増えたり。
僧侶の研鑽
帰国して僧侶の研鑽をするようになってからも、その感覚はある。
学ぶ必要があることがベストなタイミングで目の前に現れるというか。
修行中に大先輩の僧侶から言われたことがある。

僧侶として真剣に研鑽を重ねると、何も心配は要りません。
そうやって800年間も続いて来たのだから、何も不安を感じずに修行して下さい。
それが次第に腑に落ちてきた。
あるお寺の奥さんの言葉を紹介しようと思う。
お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい
幸も不幸も喜びも 悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい仏様と二人連れの人生 丁度よくないはずがない
丁度よいと聞こえた時 憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏
「憶念」とは、「心に堅くおもうこと」、「心に思いたもつこと」、「心に念じて忘れないこと」といった意味。
「憶念の信」とは「阿弥陀仏の本願を信ずること」すなわち「阿弥陀仏にお任せする(他力本願)」ということ。
必要なものは必要なときに与えられる
必要なものは必要なときに与えられるのだよね。
お金にしても、人間関係にしても、やる気にしても、全てが❗❗
人間関係
自分の人生に必要な人は必ず必要なタイミングで自分の人生に現れます。
なぜこの人がって思うかもしれません。
でも必要な人は必ず自分に関わってきます。それと同様に必要がなくなった人は必要のなくなったタイミングで自分の元から去っていきます。
来るもの拒まず、去るもの追わずでいればいいんです。
別れも「嫌われてしまった」のではなく、いつか離れるご縁だっただけ。
人との出会いと別れは「一瞬早からず一瞬遅からず」なのだと思う。
必要なものは既に与えられている
むしろ、必要なものが必要なときに与えられるのではなくて、必要なものは既に与えられているんだなぁと感じるようになってきた。
淡々と目の前にある課題を1つずつこなしていけばいい。
レストランで料理が出てくるのをのんびり待つように、焦らず慌てず抗わず、ただ待っていればすべての環境が整うものだ。
統合失調症になったのも、海外で生活したのも、僧侶として研鑽しているのも、自分が学ぶべきことがそこに含まれていたから何だろうなと、回復した今になってそう感じる。
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