
自分が若い頃は、自分が衰えてやがて死ぬという実感はなかった。
歴史上一番と言われることもある、天才アインシュタインでさえ、若い頃は「生老病死」の苦が実感として持ちにくかったようだ。
自分も似たような感覚があって、スピリチュアル系にはまっている時とかは、「覚醒すれば人は死にません」みたいなのに夢中になって、そういうの求めていた。
でも、釋尊が言ったように「生老病死」から逃れられる人間は居ない。
人生は「一切皆苦」で、思うようになることはほんのわずかしかないと気付いてくる。
子どものように無邪気に「思えば叶う」なんて幼いんだ(笑)って今は思うよ。
「老」
職業も僧侶で人の死に触れることは多く、「人の命は露の命。いつ尽きるか分からない。」というような法話もしていたのに、若い頃は老化や死はどこか実感がなくて、他人事のように感じていた。
45歳を過ぎた辺りから、今まで全てが右肩上がりだったのに、次第に衰えを感じることが増えて来ると、「老」は誰にでも訪れるという当たり前のことが実感として分かってきた。
知っている顔もずっと老け込んできたり、亡くなったり、病気になったりして、ようやく「自分もやがて衰えて死んでいく」ということに気付いた。
早い人は小学生ぐらいで気付くらしいけど(苦笑)
受容し精神的に成熟する
でも、人はそれぞれのペースがあって、それに気付くのが遅くても悲観すべきこともない。
人より気付くのが遅かったのかもしれないけど、その間に色々な経験をして精神性を磨くことが出来たということだから。
「生老病死」「一切皆苦」「思い通りにならないことの方が多い」「悟るなんて無理」など。
辛いことだけど受容出来るようになると、心理的に大人になり、精神がより成熟したようにも感じている。
釈迦がそうであったように「生老病死」に向き合うことで、心理的に飛躍的な成長か約束されているのだと思う。
それに気付いたら、今まで築いてきた堅牢な土台の上に高くそびえるピラミッドを創る段階!
新しい世界。
どういう展開になるか楽しみだ😊
