
日本ハムの監督新庄剛志さんは、現役の頃は身体能力と直感と感性で好き勝手やっているたようなイメージがあった。
でも実はプロ野球界でもトップクラスの練習量と綿密な計画に裏打ちされていたそうだ。
皆が集まる時間のずっと前にトレーニングをして、皆が来る時間にはもうその場にいない。
努力するのを見せるのはカッコよくないと考えていたかららしい。
その姿を知っている球団の方の目に留まり、今回のビッグボス就任に繋がったんだろうね。
努力は誰かが見ていてくれる
三國清三シェフ
世界的シェフ三國清三シェフは、子どもの頃、「ハンバーグをつくる料理人になりたい」と決心し、中学卒業後、夜間の調理師学校を経て、北の迎賓館と呼ばれる「札幌グランドホテル」で修行を始めた。
札幌グランドホテルでの最初の仕事は、「従業員食堂の飯炊きの手伝い」だった。
三國シェフは、「どぶ掃除でも何でもする」という思いで仕事に取り組み、飯炊きが終わったあとも、宴会場の皿洗いを一手に引き受けた。
社員寮にはほとんど帰らず、厨房に残って、毎晩、料理の練習をしたそうだ。
そして18歳のとき、料理長補佐としてステーキワゴンを任されるまでに成長した。
その後、札幌を離れて上京し「帝国ホテル」で働くことになりる。
しかし、札幌グランドホテルの料理長補佐といえども、帝国ホテルでは、「洗い場のアルバイト」のひとりにすぎまなかった。
2年経っても正社員にはなれず、北海道に戻ることも考えたが、「たとえ戻ることになっても、日本一のホテルの洗い場を担当した者として、ホテルの鍋を全部、自分の手でピカピカに磨いてから去る」と誓い、「ホテルにある18のレストランの洗い場をすべて手伝わせてくれ、お金はいらない」と直訴。
それから毎晩、自分の仕事が終わってから、すべてのレストランを回って、鍋を磨いた。
そうして3ヵ月ほど経った頃、三國シェフは、「料理人の神様」と称されていた帝国ホテルの村上信夫料理長から、思いもよらない提案を受けることになる。
村上信夫料理長は、「帝国ホテルの社長から、『600名の料理人の中で、いちばん腕のいい者を、ジュネーブの日本大使館のコック長に推薦してくれ』と言われ、キミを推薦した」と言って、社員でもなく、一度も料理を披露していない「一介のアルバイト」を大役に抜擢したのだ。
三國シェフは、「従業員食堂の飯炊き」をしていたときも、「洗い場のアルバイト」をしていたときも、自分の信念に従い、腐らず、自分のやるべき仕事を愚直に続けていた。
村上料理長は、そんな三國シェフの「ひたむきさ」と、愚直に努力を続ける「心の強さ」に気づいていた。
先が見えなくても、目の前のことに必死に向き合う……。
野心や、評価や、私欲に心を動かされず、ただひたすらやり続けた結果として、三國シェフの前には、大きな道が開けた。
統合失調症と僕
努力していても成果が出ないときって、切なくなる。
自分は統合失調症に関しては、2012年から活動を開始した。
出来るだけ毎日書くようにしているのだけど、金銭的な報酬に繋がるわけではないし、統合失調症Lineグループ「すきゾ!」 の運営にしても辛いことも多い。
何のためにやっているのだろう😢
と、気分が落ち込むこともあるが、この努力は誰かが見ていてくれるんだと信じている。
実際に日本最大の統合失調症 Line家族会☆Pure Light☆ だったり、署名活動「義務教育で精神疾患を教えて偏見を無くしてほしい 」だったり、統合失調症のイメージを変えることに、少しばかりは貢献出来たようには感じている。
人間の価値は他人の見ていないところの行動で決まる
人間の価値は、他人の見ていないところでの行動で決まる。
努力することに心が折れそうなときは、他人の評価に一喜一憂するのではなく、自分の信条や本心に従って、愚直に生きる。
自分が望む未来は、その先にしかないと思う。
やがて、点と点が繋がり線となり、線と線が繋がり輪を結ぶ💕
