
半世紀にわたり死刑囚と対話を重ね、死刑執行に立ち会い続けた教誨師・渡邉普相のドキュメンタリー「教誨師」堀川惠子著を読んでいる。
真面目にひとつのことをずっと突き詰めていくタイプじゃない。そんな人間は教誨師の仕事なんて長く続きませんよ。言うとることが矛盾だらけかもしれませんがね、真面目な人に教誨師は出来ません、ええ、務まりゃしません。突き詰めて考えておったりしたら、自分自身がおかしゅうなります・・・。
20年ほど前、僕が初めて精神病院に入院したときには、心を病んだ人に対する世間の風当たりも強く、病院に一生閉じ込められる、ある意味では死刑囚のようにも感じていた。
でもそれは自分自身にあった偏見だったなと、笑いながら振り返ることが出来るけど(笑)
病状が酷いときには、突き詰めて考えて悲観的になりがちかもしれないが、「まぁ何とかなるだろ」ぐらいに楽観しないと、自分自身が参ってましまう。
医師はどこか他人事
主治医はすべての患者に親身になっている訳ではなく「どこか他人事」のように患者と接していると感じることがある。
精神科医の自殺率は医師の中で1番高いというし、突き詰めない態度が無意識に身につくのかもしれない。
以前僕がカウンセリングメールを毎日のようにもらっていたときも、主治医は「俺にはそんなことは出来ない」と言って、「出来ればやめた方が好いよ」とアドバイスをしてくれたし、患者と距離を置くのは、自身の精神を保つための無意識の自己防衛反応なのだろう。
看護する方
家族や看護する方も、突き詰めて考えると自分が辛くなってしまうかもしれない。
統合失調症のことを忘れて、自分がリフレッシュする時間を持つぐらいがちょうどいいのだと思う。
酸素マスクは自分が着けてから、相手に着けるように、まず自分がゆとりある心にならないと相手も救うことは出来ないから。
