
何かを学ぶとき2つの道がある。苦しんで学ぶか、楽しんで学ぶか。日本人は苦しい努力をして学ぶことを美徳としている雰囲気があるからか、僕も長い間苦しみながら学ぼうとしてきた。
苦しみながら努力することは、短期的な視点では成長するし学ぶこともあるし、「俺、頑張ってるな」感を感じられることもある。
しかし、振り返ってみると、マイナスのエネルギーで始めたことだから、あるときにストレスが大きくなって、全く関わることが出来なくなってしまうことばかりだ💦
努力は実るのか?実らないのか?
努力は実るという人と、努力は実らないという人もいる。僕が思うのは、苦労して辛いと思う努力は実りにくいということだ。辛くてやりたくなくて、苦痛に歪んで、「これを乗り越えたら!」と思うと好いことはない。
例えば、プロ野球選手は毎日走るし、毎日素振りする。傍から見ていて超人的な努力しているとように映る。でも、それは打ちたいし、珠が速くなったり、遠くまで飛ばせるようになったり、上手くなる自分が楽しいのだ。だから出来る。楽しんでやっているから。
自然と身に付いたことは一生忘れない
子どもの頃は祖父と一緒に毎日のお勤めをしていた。お経を覚えようと思わずに、ただ祖父について行くのが楽かっただけだけど、自然とお経は覚えて、今でも忘れることはないし、おそらくこれから1度もお唱えしなくても死ぬまで忘れないと思う。
小学生の頃はクワガタ取りに夢中で、夏休みになると自分だけが知っているクワガタが捕れる秘密の場所で木に登ってクワガタを捕っていた。今考えると、誰も居ない山の中で木から滑り落ちて意識を失ったら怖いことだけど、そのときは全くそんなことは思い浮かばなかった。山の中で走り回っていたからか、自然と受け身は上手くなった。今でもどんな転び方をしても、ダメージが最低限の転び方が出来ると思う。
意識しないで自然と身についたものは一生残るみたいだ。
語学を勉強するにしても、音楽を学ぶにしても、自然と身につく方法だったら、それが1番自分に合っているやり方だと思う。
「努力しよう!」と思うよりも、如何に自然に身に付くかを考えて実践する方が結局は伸びる。
これを好むものはこれを楽しむものに如かず
これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。
もしも、野球を好きだという気持ちがゆらいでいたら、 ぼくは、もうどこかで終わっていたんじゃないかなぁ。
好きなことを出来るのは幸せ
成果が出ないと面白くない。
辛いなと思うと辞めたくなる。
それが人だと思う。
それでも頑張りたいなって思える、何かがあるなら、その時点で幸せじゃないかな?
僕にとってはそれがたまたま野球でしたけど。
なるべく好きなまま最後まで終えたら幸せだと思っているので。
楽しいと思ったら一生続く
先輩の僧侶から頂いた金言がある。
楽しいと思ったら一生続く。
楽しくなるまで続けて下さい。
楽しくない講義も、その後の懇親会を楽しみにするとか、何かしらの楽しみを見いだして勉強して下さい。
苦しみながら学ぶよりも「楽しい!」という気分があれば、長く続けられる。長く続けて楽しくなると、当然だが多くの学びと成長がある。そして「楽しい」というモチベーションはもっともっと大きくなっていく。
自分自身の適正とその業界の相性はやっぱりあると思います。
ただそれでも「そこにいたい」と思う人たちもいるわけですよね。
結局そういう風に思う人たちが最後に残っていくと思います。
BUMP OF CHICKEN 藤原基央
ギターが手っ取り早く上達する方法ってありますか?
あります。
毎日弾くことです 。
ギターの飽きない練習法はありますか?
あります。
練習だと思わない事です。
苦しみからは何も生まれない。
hoshuとピアノ
僕は闘病中にやることがなくて、ピアノ教室に通っていた。
とりあえず何かをしなくちゃ・・・。
という焦りもあったのだろう。
1番練習していた頃は、1日8時間ほどピアノを弾いていた。
こんなに上達が速い人みたことない。
プロにでもなるつもりなの❓(笑)
と、言われるほどに夢中になっていた。
弾けなかった曲が弾けるようになる楽しみはあったのだけど、あるときから楽しんで弾くというよりも、弾かなきゃいけない・・・というような義務感の方が強くなって、辛くなってしまった。
その辛さに耐えられなくなって、あんなに夢中になっていたピアノもパッタリと辞めてしまい、それからは2度とピアノの前に座ることはなくなった。
釈迦も「苦行では悟れない」と悟ったし、僕らも苦しんで何かを達成することって難しいのかもしれないよね。
楽しんで活躍する時:継続という才能
最近は世界的に活躍する日本人は、昭和の根性論から卒業して新たな人類のステージに立っているのだなって感じる。
第三者が判断する「努力ができる人」の共通点として挙げられることが多いのは、特別なことをしている感覚がないこと。
一流は関わっている時間が単純に多い
一流と言われる人は、単に関わっている時間が多いということもある。
将棋の羽生善治も小学生の頃から徹夜で詰め将棋を考えていたというし、藤井聡太もリフレッシュ法として将棋観戦や詰め将棋をしていると、異次元の解答をしている(笑)
サッカーのジダンが次のような言葉を残している。
1人でする練習が好きで、暇があればずっと壁に向かってボールを蹴っていました。
それを努力というのはおこがましい気がします。
ただ楽しくてやっていたのだから。
2022年の東京オリンピックのスケボーで金メダルを取った堀米雄斗さんも同じようなことをインタビューで答えていた。
初めてスケボーをみたとき、シンプルに楽しそうに見えたんだ。
ただ座っているだけで楽しかった。
僕の中では「練習」している感覚はあまりないんだ。
ただ、好きでスケボーしているだけだからかな。
毎日スケボーしていたいと思うぐらい大好きなんだ。
松井秀喜も努力の人だと思っていたが、本人にしてみれば努力したことないそうだ。
まず、自分がどんな努力をしたかはわからないです。
バットを振ること=努力だとしたら、それは努力かもしれないですけどね。
努力したかわからないですけど、だんだん打球が遠くに飛ぶようになったというのは、子どもの時に嬉しかったことですね。
でも、それが何が原因だったのかはわかりません。
ただ体が成長して、大きくなっただけ。
自分がどんな努力をしたのか?というのは、記憶にないですね。
始めるのは「楽しそうだから」で、辞めるのは「楽しくないから」で充分な理由じゃないかな❓
時代は確実に移り変わっている。
そういう時代を創っていくのが僕らなんだと思うよ。
