ライフワーク:時間を忘れるほど夢中になれること

自分にとってのライフワークは何だろう?

現在進行形で、暗中模索している方もいるかもしれない。

自分にとってのライフワークは何か?

そう考えるときに、僕はこのように思っている。

  • ポジティブな動機で始めたこと。
  • 時間を忘れるほど夢中になれること。
  • 苦しみがないから努力が苦にならないこと。
  • 何かに導かれているように大きなサポートが受けられること。
  • とても豊かになれること。

今まで時間を忘れるほど夢中になったことは何だろう?

高校時代のバスケット・闘病中のピアノ・アーティストのアシスタントとして海外生活したこと・このブログと、統合失調症Lineグループ「すきゾ!」 を運営していることなどが思い浮かぶ。

バスケットボール

順番に考えると、高校時代のバスケットは、中3の頃に亡くなった父の死から目を背ける無意識の防衛反応だったのかもしれない。

当時から陽性症状っぽいのは出ていたから、

hoshu
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NBAに行く❗

みたいに信じて、人一倍練習してキャプテンにもなった。

でも、高校3年生の頃にラグビー部のタバコの火の不始末で部室が燃えてしまい(笑)ユニフォームもシューズもボールも全部焼けてしまった💦

hoshu
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自分の青春は終わってしまった

そのときの落胆は語り尽くせない。

逃避と自尊心を満たすというネガティブなエネルギーで活動していたから、大きな力は僕に味方してくれなかったのだと思う。

ピアノ

闘病中のピアノも夢中になった。

こんなに上達する人みたことない。

プロになるつもりなの❓

と、先生に言われるほどに練習した。

闘病中で外出もままならず、仕事も出来ていなかったから、空いている時間はほぼピアノの前に座っていた。

しかし、これも逃避行動で自尊心を満たすためのものだからか、練習は苦しくてたまらなかった。

そして、心が折れて、先生とも喧嘩をしてしまい、それからは、あれほど夢中になっていたピアノの前に座ることはなくなった。

海外時代

それからしばらくして北京とウィーンで4年間の海外生活を始めるのだけど、その理由は家族と折り合いが悪くなったからだ。

闘病中で寝てばかりだったが、自分の興味のあることは出来ていた。

家の手伝いもしないで、遊んでばかりいる

と、家族は常にイライラしていて、家を継いで住職となっていた兄とも折り合いが悪くなり、

お寺の仕事が出来ないなら、出て行け❗

hoshu
hoshu

それならこんな家捨ててやる❗

と、喧嘩をしてしまった。

ちょうどそのときに以前知り合いになった中国人のアーティストから、

北京でギャラリーやるから、手伝いに来ないか?

という話があって、飛びつき、準備期間は2週間ほどで、「谢谢」と「你好」ぐらいしか分からないのに北京での生活を始めた。

北京での生活は苦しいことも多かったが、楽しいこともたくさんあった。

すべてのことが上手く回転したような印象がある。

オーストリアの有名なアーティストEdgar Honetschläger さんに出会い、意気投合してウィーンにアシスタントとして招かれることにもなった。

順風満帆で、

hoshu
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統合失調症のおかけで、芸術家より繊細な感性があるから、これが僕のライフワークなのかもな。

と、感じたこともある。

しかし、僕が海外で活動している間に、母は祖父の介護うつになってしまい、一時帰国することになった。

そのとき住職の体調は目に見えて悪く、

hoshu
hoshu

このままだったら、兄も母も救われない・・・。

と、いったんは飛び出した家に帰ることになった。

それからも結婚式のビデオを作ったり、お店のポスターやチラシを頼まれたり、アート的な仕事はやってきた。

しかし、ほとんど金銭的な収入には繋がらず、結婚式のビデオを頼まれているときに3度目の入院をしたこともあって、それからはデザインの仕事は極力受けないようにした。

アーティスティックな感覚を活かすことは、ライフワークだったのかも知れないが、これも現実逃避というネガティブなエネルギーで動いていたから、理想的に回転しなかったのかもしれない。

統合失調症に関して

ブログや統合失調症Lineグループ「すきゾ!」 の運営は2012年から始めた。

hoshu
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こんな大きな力に守られてるんだ❗

驚くほどの偶然や人との出会いがあって、大きな力に守り導かれているような感覚になることもある。

ただ、そのどれもが、金銭的な「豊かさ」に繋がることはないし、「書く」ということは「自分をさらけ出す」ということだから苦しくなることもある。

苦しみが生まれるのは、きっと全ての人のための活動ではないからなのかもな。

統合失調症という人口の1%程度に貢献しているに過ぎないから。

僧侶という天職

最近は、やはり僧侶の仕事が天職なんじゃないかと思うようになってきた。

実家はお寺だけど、元々は僧侶になる気はなく、大学も佛教系ではなく、一般の大学に行った。

しかし、父の死や統合失調症の発症によって、僧侶にならないと生きていけないような環境が整っていた。

大きな力に導かれているような感覚がある。

髪を剃り、僧侶として自分なりに取り組むようになると、目の前には一段高いハードルが常にあるようになった。

1つハードルを越えたら、次のハードルがやってくる。

ハードルを越えるのに夢中になって楽しい。

しかも、心も満たされ、金銭的にも豊かになれる。

ライフワークには導かれる

自分の経験をツラツラと書いてきたが、今している仕事がライフワークかどうか、僕なりの道を示してみた。

統合失調症になると、普通の人よりも繊細になれるから、ちょっとしたストレスで仕事が出来なくなることも多いかも知れない。

でも、逆にいうと、ストレスに耐えられない分、ライフワークに導かれる可能性は高いのじゃないかと思っているよ🎵

ポジティブな動機で始めたこと。
時間を忘れるほど夢中になれること。
苦しみがないから努力が苦にならないこと。
何かに導かれているように大きなサポートが受けられる。
とても豊かになれること。

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