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目が覚めるのはいのちの欲求 「光 無限のいのちを生きる」mana著 より

調子が悪いときには、このまま眠って目が覚めなければいいのに・・・。

などと感じることがある。

98歳で亡くなった祖父も晩年は「眠ったまま逝ければいいのに、やっぱり朝になったら目が覚めちゃう(´・д・`)」というようなことをもらすこともあった。

 

目を覚ますことが良いことだからと考えて目を覚ますわけではなく、一定の時刻になると自ずとめが覚める。

日常的に「朝7時に起きなくてはならない」という理由から、目覚まし時計をかけて「人為的に」起きるなどという場合は別として、いつまでも寝ていてよい時でさえ、いつかは目が覚めてしまう。

このことは、私たちの理屈・理論を超えた命の欲求だそうだ。

 

ただ起きるということ、ただ目を覚ますということ、このきわめて単純なことの裏には、いのち自体の欲求が出現する。

病気や、何らかの特殊な場合を除いて、理屈抜きに毎日「いざ!」「よし!」「そら!」といういのちの意気込みから起き上がるのであって、その意気込みが私たちを成り立たせ、周囲の現実を創ってくれている。

 

喜ばしい人生を望むのであれば、いのちの欲求と同じように、どこまでも生きるぞ!という喜ばしい心の状態から日々出発していかなくては始まらない!

陰性症状やうつで辛くても、目が覚めるということは、「生きる!」という強い意思が根底にあるからだと思う。

やがてはその重さもなくなる時期が来るので、それまでは自分に秘められた力を信じて、ゆっくりと休めるときに休んでおけばいい。

休みたくても、楽しくて休めないときもきっとやってくるでしょう(笑)