
海外で4年間生活したことがある。一緒に働いていたウィーンのアーティストは日本でも活動していたことがある。彼が良く言っていたのは、「日本人はプロジェクトの決断までに時間が掛かりすぎる」ということだった。
海外ならある程度ビジョンが決まったら、取り敢えず動く。ただ、そのアーティストは「日本は決断までに時間が掛かるけど、1度出来ると分かったら、その後の動きは速い」とも言っていた。
慎重で完璧主義が強い日本人らしい思考なのだろう。
完璧主義も場面による
完璧主義はある面では完璧なものに近づけるから、それほど悪いものではない場合もある。しかし、時にあまりにも心配し過ぎなこともある。
自動掃除機のルンバのアイデアは日本でずいぶん前にあったそうだが、「もし床にロウソクが立っていたり、仏壇の机に当たってロウソクが倒れて火事になったらどうするのか?」という懸念があって実現しなかったそうだ。
自動運転
自動車の自動運転に関しても日本は中国にはどうあがいても勝てないと言われている。日本では万が一自動運転車が事故を起こした場合の責任が重大になるからで、実験をするハードルが高いからデータの集積が出来ないという。
中国的な考え方では、「人が運転している車は毎年いったいどれぐらいの人を殺しているのか?」ということだろう。
コミュニケーションのための語学
日本人は中学高校と6年は英語を学ぶ。でも、英会話が出来る人は驚くほど少ない。海外の人と関わることが諸外国に比べて少ないという背景もあるだろうけど、1番好くないのは完璧主義なのではないかと思っている。
「文法が完璧じゃないと恥ずかしくて喋れない」というような雰囲気を感じるのだけど、言語の目的は相手とコミュニケーションが出来ることだ。
僕も多少の英語と全く喋れない中国語で北京生活を始めた。喋れないということは幼児よりも能力が低いところもあるということだから、相当苦労した。
ボディーランゲージと伝えたい情熱で何とか生活をしていたが、ある瞬間に「あ、言語はコミュニケーションを取るものなんだ」と感覚的に腑に落ちてからは、語学に対するハードルは相当に低くなった。
母国語じゃない人が完璧な言語を喋るのは相当に困難だし、僕らだって長く日本で生活していても、知らない単語や漢字に出会うことは何歳になってもある。
本質を間違えなければ、語学のハードルは低くなって、外国人と関わって心の壁が一瞬でほどける感覚が溜まらなく楽しくなる。
コミュニケーションを取ることを目標にしていたら、自然と文法も単語も身に付くものだし、本質を間違えないで欲しいと思う今日この頃だ。


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