
好調な時は意識の俎上に登ることはないが、陰性症状やうつで気分が重くなると、すべてに悲観的になる。

何のために働くのだろう?
財を成すため?
でも、死んでも持って行けないよ・・・😢
何のために学ぶの?
どうせ死んだら全部なくなっちゃうよ・・・😢
何のために生きるの?
生きる意味なんてないよね?
死んでも同じだよね。。。😭
そういう時期は全てを投げ出したくもなる・・・。
哲学科の自殺率の高さは良く知られたところだが、ある教授は哲学科を卒業する卒業生に毎年必ず伝えるメッセージがあるという。

まず、生きてください。
「何のために。。。」と悲観的になると、思考はネガティブに落ち込んでしまって「死ぬしかない」と短絡的になりがちだ。
でも、「何のために。。。」という考えが頭に上ると言うことは、「疲れてるから休もう」という脳のメッセージであるだけだ。
これ以上脳を酷使すると、状態は更に酷くなるので自己防衛的に、活動をする意味や意欲をシャットダウンして休ませようとしているのだ。
それに気付かず無理して考え続けたり、やり続けるとネガティブの無限ループに陥り、簡単には抜け出せなくなってしまう。
ネガティブが頭に浮かんだら、美味しいもの食べて、寝て、毎日の最低限の課題「生きること」が出来ればそれだけで満点だ。
突き詰めて考えた結論
陰性症状が酷い時期に「何のために生きるのだろう。。。」と横たわりながら2年ほどずっと考えていた。もし陰性症状特有の、泥沼に頭の底まで浸かった鉛のような身体の重さが無かったら、もしかしたら今は生きていないんじゃないか?と思うこともある。
その時の結論として、「考えてもしょうがない」ということだ。あまりにも考えすぎて脳の回路がショートしてしまい、死について考える回路がシャットダウンしてしまった感じだ。
だから、たぶんこれから何があったとしても、絶望して自ら命を絶つことは無いのでは無いかと思っている。統合失調症という絶望的な苦しみを乗り越えてきたから、あれ以上の苦難がこの先に待っているとは思えない。
学ぶのは、たすきを繋ぐため
幸いなことに今は学ぶのが楽しい時期で、何のために学ぶか?と聞かれたら「たすきを繋ぐため」と答えられる。
以前は、つまらない授業や講座をぼーっと聞き流していれば良かったのだけど、年齢的に自分が教える立場になることも、ちらほらと出てきた。
そうなると、つまらないと思っていた授業や講座も「自分だったら教壇に立ってどう教えるか?」という意識で真剣に向き合えるようになってきた。
出来るだけ学んで、学んだことが、次の世代の道標となることを夢みている✨

もっと、経験を積んで成長したら、それも変わるのだろうけどね(笑)


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