
色々と経験を積んで分かったことがある。

人生は大きな流れに抗わず、素直な心で進んでいけば、必ず助けてくれる人はいるし、次なる目標は自然と現れる。
人生は上手く行くようにデザインされている。
統合失調症になったことは辛いけど、大きな流れに組み込まれていたように感じる。
もし、統合失調症にならなかったら、世代的に精神疾患に関する偏見も強かっただろう。
統合失調症という絶望をのぞき込まなければ、

あの絶望の世界をなくしたい。
という強いモチベーションで、ブログや統合失調症Lineグループ「すきゾ!」 を創ることもなかった。
北京時代の不思議な経験
北京にいたときに、陽性症状が再発した。
部屋から追い出される寸前で、仲の好かったオランダ人とアメリカ人が共同生活している家の鍵をもらった。

もし、上手く行かなかったら、ここにおいで。
普通女の子が部屋の鍵を人にあげる❓
仕事が出来る状況ではなかったが、その数日前から、書いていたブログの広告収入が激増して、しばらくは働かなくても好いような状況が生まれていた。
結局は部屋を追い出されることになったのだが、「部屋の鍵」と「ある程度の収入」というのが同時にやってきて、しばらくはゆっくりと休むことが出来てた。

こんなにベストのタイミングで❗❗
驚くほどに大きな力に守られているのだな❗❗
と、感じずにはいられない出来事だった。
引っ越し先では、隣の水屋の主人と意気投合して、部屋を探してもらったりと色々と助けてもらった。

hoshu、中国ではな、友だちがいれば食べることの心配はすることないぞ!
と、ときには家族以上のこともしてくれる心の大きさがある。
日本に帰国することが決まると、

もし、また北京に来ることがあれば、俺が住む家と食べものは用意してやる。
お前は、遊ぶ金だけ自分で稼げばいい。
と、これまた優しい言葉を掛けてくれた。
北京では特に、仕事にしても、お金にしても、人間関係にしても、必要なものは、必要なだけ、必要なときに訪れることばかりだった。
人生の流れに上手く乗ると、実際にそうなるのだと確信している。
下心なく、心を整え、無心になって、夢中になると、すべてがスムーズに回る。
僧侶として生きる
日本に帰ることを決めたのは、住職を継いでいた兄の調子が目に見えて悪く、母も祖父の介護で「介護うつ」になってしまったということがある。
僕が帰国して僧侶として働くことで、2人とも楽になる。
オーストリアの有名なアーティストに招かれてウィーンでも活動していたから、その世界をいけば順風満帆だったろうか?
でも、大きな流れは、「そっちじゃないよ!」と言っていたのかもしれない、と今は思っている。
日本に帰国して、海外生活の疲労もあり、しばらくは自宅でゆっくりと過ごしていた。
あるとき、お寺のお手伝いに行って、相部屋になった僧侶から、

hoshuくん、気合いだよ気合い!
髪剃るんだよ!
と、言われ、周りに髪の長い人もあまりいないこともあって、髪を剃ってみた。
髪は俗の象徴だから、剃り落としたことによって、様々な場所に呼ばれるようになって、世界が広がっていった。
これは、現在進行形。
最近は法話を頼まれるようにもなってきたから、それを頑張ってる🎵
人生は、深く考えないでも、大きな流れに身を委ねていると、好いみたい。
あれこれ考えないでも、料亭に行けば、次から次に料理が出てくるようなイメージ。
川に船を浮かべて、その上にいれば、景色は次から次へと変わって、やがては海にたどり着くようなイメージ。

目標は向こうからやって来るものだ。
という、昭和の大横綱千代の富士の言葉もある。
ちょうどよい
あるお寺の奥さんが書いた詩を紹介しようと思う。
顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい
幸も不幸も喜びも 悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連れの人生 丁度よくないはずがない
丁度よいと聞こえた時 憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏
「憶念の信」とは「すべてお任せする」ということ。
丁度よいと聞こえたときに、すべてお任せが出来るようになる❗


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