
思えば、母には今まで相当に迷惑を掛けた。
国立大学に現役で通ったのに、「もっと好い大学に行く!」と言って聞かず、浪人させて貰った。そのときは密かに「3浪して京都大学医学部に行こう!」と考えていた。3浪という響きが、辛いけど頑張っている感じがして、カッコいいと思っていた。
高校生の頃は統合失調症の前駆期だったのだろうと今は分かる。
その後統合失調症になって入院したときもそうだし、家を飛び出して海外で4年間暮らしたことも。50歳で入籍するまで自由に色々していて、相当に心配をかけた。
海外に行っている間は、祖父の介護もあり、母は介護うつになってしまったそうだ。一時帰国したときに、母だけではなく兄も相当に体調が悪そうだったので、海外生活は諦めた。
もしかしたら一般の人には分かりにくい感情かもしれないけど、お寺を護るということが何より大切なことだから。
ある程度好い感じで活動出来てたから、もったいないとは思うこともあるけど。帰国してからは、お寺で副住職という立場で、のんびりと過ごしている。ぬるま湯の中で生きる力を失っている気もするけど、自分がここにいるだけで親孝行になるのかなと感じている。
3度目の入院:やがて誰も死んでいく
3度目の入院をしたときに、心が落ち込んで、今まであまり深く考えなかったことが頭の中でぐるぐると巡った。
40歳を過ぎて、体力の衰えを感じ、気力もなくなってきた。若い頃は心技体ともに右肩上がりだったけど、年を取るにつれて右肩下がりなってしまう。
やがて僕も老いて死ぬ。生老病死は免れることが出来ない。それは、家族も一緒。生命の死亡率は100%。
家族のありがたさが身にしみる。もし家族がいなかったら、今の僕では自分の力で生きることが出来ないかもしれない。経験上陰性症状の重たさは、後数年は続くから、その時期は環境に甘えて回復を待つしかない。
自立とは?
そして徐々に活動出来るようになったら、本当の意味で自立することを考えないといけない。
自立とは?
今の僕に取っては、親亡き後も笑顔で力強く生きていける能力のように感じている。
いつまでも親が元気なわけではない。一生の伴侶と一緒に仲良く笑顔で暮らしていくことが親孝行になるだろうし、母が元気に動けるうちに、行きたいところに連れて行って、すこしでも恩返しになればなと思っている。
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