
知識というものは、1と1とで2になる。これが知識です。智慧は違うんです。智慧が湧いてきたら、1と1とで1になる。
本当は1と1とは2であるが、これは対立する場合がある。喧嘩の時は1と1が2になる。けれども、本当に有難いときは、1と1は2つあるけど、これは1つになることが有難い。こうなってこなければ、ものは解決いたしません。
1+1=1という智慧
ご主人と奥さんとは2人です。こう思っているのは知識です。だんだんお互いをいたわれるようになると、主人と奥さんは身体は2人だけれども心は1つになる。
主人と奥さんは2人である。しかし主人と奥さんが2人あると思っているうちは、3日に1回は喧嘩していますね。
「偉そうに言うな、何をいう。月給を俺がもらわなんだら、お前ら生きては折れないぞ。万事俺のお陰じゃないか」すると「えらそうにいいなさんな、いくら月給貰ってきても、隣はもう課長さんや。あんた未だに平社員や」こうやって喧嘩しだしたら、月給1つで1と1とはいつでも対立です。主人と奥さんとは2人であると思っているうちは、3日空けずに喧嘩をせにゃならん。
それで1と1とは1であるとこうなる。「私のような男に他の女ならめったに来てくれんが、ようついて来てくれた」こうなってくると有難くなりますね。今度は奥さんが黙っていられません。「滅相な。どういたしまして。私みたいな女子を誰も貰う手下さるはずないのに、あんたならこそ、よう貰ってくれました。」というと1と1が1なる。これで初めて円満に行くのです。
だから、智慧が出ると1と1とが1である。主人と奥さんとは2人だけれども、心は1つにならなければ世渡りは難しいということが分かってくるのは、心穏やかになって初めて分かってくるのです。
世の中は「こそ」の2文字のつけどころ
「世の中はこその2文字のつけどころ。収まるもこそ 乱るるもこそ」
世の中はこその2文字のつけどころ、このつけどころが間違ったらだめです。
「俺ならこそ、もろうてやったんや」これがいけない。「お前みたいな者、誰が貰うかい。一辺鏡見てこい。その顔。俺ならこそ貰ってやった。有難く思え。こういう風にこそを自分に付けますと、奥さんは「作用でございました。えらいすまんことでした」という人はまぁ、ないでしょう。「あんた偉そうな事いいなさんな。私ならこそ辛抱してきたんです」こうなって今度は奥さんが、その「こそ」を取り返す。旦那さん「こそ」を取れば、奥さん「こそ」取り返す。
だから自分に付けたら必ずだめ。「こそ」は只です。金は掛からん。だから只であげたらいいんです。
「あんたならこそ あんたならこそ」とあげても損はしません。
「お父さん本当に私喜んでいます。こんなお荷物だと思わずに、よう貰ってくれました」こういって「こそ」を向こうに上げるのです。「こそ」ぐらい只でしょう。だから惜しまずにあげなさい。「お父さん、私かねがね喜んでます。口に出しては言いませんけれど、あんたならこそ よう辛抱して下さった。これから先も頼みますよ。」こう言ってみれば、「今頃気付いたか」という人はいない「何をいうか、そんなこというものではない。私も若い時分はなぁ、お前に苦労させた。酒ものんだ。世間の受けも悪かった。それにも関わらずお前ならこそよう辛抱してくれた。口には毎日ぼろくそに言ってるけれど、腹の中ではお前ならこそと思っている。」
美しい話ではありませんが、主人と奥さんは身体は2つだけれど、心は1つになる。これが世渡りの大切なことであります。それが智慧であります。
家庭円満夫婦円満、どんな立派な着物より、どんな立派な指輪買って貰うより、お父さんから「おまえらなこそ」の一言が最上の贈り物です。
1と1とは知識で考えたら2ですけれど、智慧を開いてみるとこれが1になるのです。1+1は2、本当だが、1+1は1も嘘ではないのです。日々穏やかに智慧を開いて下さったら1と1は1になっていくものであります。


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