
統合失調症になって「絶望」という感情を感じたのは、2度ある。
初回の入院と、身体拘束された3度目の入院。
特に初回の入院では全ての希望がなくなったかのような筆舌に尽くしがたい感覚を受けたのを覚えている。
まさに、「SEKAI NO OWARI」って感じ。
でも、絶望はそんなに長くは続かない。
やがてその経験が糧ともなり、新たな希望も生まれる。
初回の入院
初回の入院では、保護室に閉じ込められた。
まるで悪い夢を観ているように、それが現実かどうかすらも分からず、ただただ混乱していた。
あるとき心配そうな母親が保護室のガラス越しに面会に来た。
それで「あ、これは現実なんだ」とようやく気付いた。
母が帰った後に、「俺は精神病院に入っているのだ」ということを理解した。

このまま一生ここに閉じ込められる。
もう2度と社会生活に戻ることは出来ない。
未来への希望は一切なくなった。
漆黒の闇よりも暗い闇の中に落とされた。
絶望より深い絶望。
この世にこれほどの苦しみがあるのか。
父も統合失調症(当時は精神分裂病)だったから、恐らく当時の母も同じような感情を抱いたかもしれない。
「精神が分裂しているなんて!」とやり場のない強い怒りを感じたと後に聞いたことがある。
この病気になって自ら命を絶つことを考えなかった人は果たしているのだろうか?とすら思っていた時期もある。
絶望の淵に立っていた僕を救ったのは、母のあっけらかんとした言葉だった。
「お父さんも同じ病気で、3ヶ月ぐらいしたら良くなって退院してたから。」
実際あれほど酷い状態だったのに3ヶ月後には家のベッドで眠っていた。
「これほどの苦しみを生むなんて、世の中には神も仏もない。」
「僕は無神論者です。」
と、お寺に生まれたのに臆面もなく人に伝えていた。
身近に統合失調症になった人がいると、僕が感じた種と同じ絶望を感じる人もいるかもしれない。
ずっと保護室に閉じ込められて、結婚はおろか働けないし社会に出ることも叶わないと。
しかし、絶望はそれほど長く続かない。
神さまはそこまで厳しくない 笑
お陰で、退院もして、僧侶の資格も取り、30歳を過ぎてから北京とウィーンを中心に海外で4年間生活出来た。
いつか必ず希望が生まれる。
3度目の入院
今回の3度目の入院でも、違う種の絶望を感じた。
初回の入院はまだ22歳と若く未来があった。
気力も体力も能力も右肩上がりの時期。
でも、43歳。
保護室だけではなく四肢拘束も経験した。
これは、気分的にかなり凹む。
何も出来ない自分。特別なことを何も積み重ねていない自分。そんな現実を突きつけられた。
もし今この瞬間に母と兄が居なくなったら、おそらく暮らしていけない。
病気になる前は、陽性症状の神のような全能感があった。
このブログの前身「統合失調症は治る病気です。」を書きつつ、統合失調症を巡るネット上の雰囲気が変わるのを実感していたし、LINEグループを始め、拡大し、各地でオフ会を開催するのが楽しかった。
僕は福山雅治ではないのに、福山が47歳で結婚したから、僕もそろそろ結婚を考えようかと(笑)
実際に「そろそろ結婚考えようかな」という雰囲気を出していると、紹介やお見合いなど10件以上の話はあった。
でも、入院して現実を突きつけられ、結婚するの無理だと感じた。
初回の目の前が真っ暗になるような絶望とは違う種の、諦念にも似た絶望。
身体は老化する。
能力は衰えていく。
思考は堂々巡りで、1歩も進めない。
でも、絶望はそんなに長くは続かないみたい。
精神的に回復すると、もうちょっとだけがんばってみようかって思うようになってきたし、むしろ「何か無理をしているのだよ」というようなメッセージのように受け取れるようになった。
人の人生なんてどうなるか分からない。
経験を積み重ねて言えることは、「絶望もそんなに長くは続かない」ってことだ。