統合失調症という才能はあまりにも繊細過ぎて、鈍感な社会では暮らしにくいことがある。僕がそうであったように人との関わりが苦手な人も多いかもしれない。
統合失調症は「他人や外界に対する関心が全く失われて引きこもり、自閉的になる」病気だとステッドマン医学大事典には書かれている。
人との関わりを避けがちだが、それでは病状は悪くなってしまいがちだ。実際統合失調症Lineグループ「すきゾ!」 でも陰性症状の人は、チャットや通話で繋がることで劇的に回復する人も数多く見てきた。
人見知りは「才能」
統合失調症では感受性が高いから、HSP(Highly Sensitive Person)の方がとても多い。「こうしたらこう思われるかも。。。」と考えすぎてしまい怖くなって、身動きが取れなくなることも頻繁に起こる。
人見知りは最高の才能
人見知りは神様が与えた最高の才能だ。そもそも何で人見知りになるかというと、「今こういったら相手はこう思うだろうな」とか、「変な風に思われたら嫌だな」と思ってしまうからだ。
それで結局行動に移せなくて、自分はダメだと思ってしまう。
でもそれは、相手のことをまず第一に考えているということだ。それに相手の気持ちを理解しているということになる。
人見知りのもう一歩先の行動が出来れば、みんなの気持ちを楽しく豊かにすることも出来る。それは人見知りだけに与えられた才能だ。
経験が助けてくれる
七十にして己の欲する所に従えども矩のりを踰こえず。
70歳になると、心の欲するままに行動しても道徳の規準をはずれるようなことがなくなるということだ。
経験を積むと自然体でも、自分と相手を心地よく出来る時がやってくる。
自分らしく。
相手らしく。
人見知りは才能。勇気を出して1歩踏み出すだけで、誰よりも人を豊かに出来る。
絶対的な安心感を感じられないから
統合失調症の内的世界は、経験をした者にしか分からない。
オフ会を開催して同じ統合失調症という「才能」を持っている人たちと会話すると、やはり一般の人と関わるときには、心に壁を作るというか、これ以上は踏み込ませない領域を持ってしまう。
その絶対にわかり合えない距離感に不安に感じ、それが「人と関わる恐怖」に繋がってしまうこともある。
子供返り
統合失調症の症状の1つに子ども返りがある。漠然とした不安から、子どもの頃のように愛されたいと無意識に感じているのだろう。
どんな自分であっても愛されるという確信を持ちたいというか。
漠然とした病的な不安
漠然とした病的不安感を感じているからかもしれない。
不安感がなくなると、人との関わりが楽になって、「何であんなに怖がってたんだろう」とビクビクしていた小動物のような自分を振り返っておかしくなってしまう(笑)
今ここにあると言うだけで愛されている証拠
今、ここにこうして僕らがある。その奇跡を考えると、どれだけ僕らが無条件に愛されているのかが分かる。
人間の底知れない悪意を感じていたから
人は誰でも心の奥に信じられないような悪意を隠していると心の深い部分で信じていた。
それが被害妄想だと気付くと回復は早い
無意識とはいえ、人間の悪意に目を向けていたから、ありとあらゆる場面で人の悪意を怖れ、出来れば人と関わりたくないという気分になってしまっていた。
そして「類は友を呼ぶ」の格言のごとく、「人は悪意がある」と信じていたから、自然とそういう人たちが周りに集まって来ていたのかもしれない。
被害妄想は、それが真実ではなく「あぁ、これは被害妄想だったのか」と気が付くだけで、心に自由が訪れる。
被害妄想が酷いときは、それを真実と信じてしまうからなかなか客観的に観ることは難しいが、目の前にある課題を1つ1つ解決していくと、やがてそれが被害妄想だと気付くときがやってくる。
コミュニケーションが苦手な人におすすめの本
渡辺淳一「鈍感力」
感性が鋭いとかシャープであることが才能であると思っていたが、しかしそれ以上に些細なことで揺るがない鈍さこそ生きていく上で大切なことで、ある意味での才能だ。
千原せいじ「がさつ力」
コミュニケーションに関する書籍で一番参考になったのは、「千原せいじ」の「がさつ力」だ。
芸人で、そこそこ売れている千原せいじさんだから、空気を読む力はハンパない。
統合失調症の繊細さとも通じるその繊細な能力を保ちつつ、どのようにコミュニケーションを取るかというのが参考になった。
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